花祭り


 水と花の都「ベネツェ」でハルトマン医院は比較的裕福な家だった。
 ハルトマン夫妻は実の子供のようにシャルルとロビンを世話してくれた。
 ロビンとシャルルは生まれてはじめて学校というところに行き、8歳から1年遅れて学習を始めた。
 そして学校を卒業してすぐにシャルルは銃の整備工場で組み立ての仕事をはじめた。ロビンはサシャの家業を継ぐためにみっちりとさらに医学や他の知識を勉強しだした。

 ベネツェの王羊月【おうようづき】の最初のサンには、花祭りというイベントがある。
 これは神の集う曜日であるサンに、花が今年も咲いたお祝いを女神といっしょに楽しもうという近年に入ってからの行事だ。
 この日は若者たちが恋人を連れてお祭りに出かけるのにぴったりで、ベネツェの子供たちも年頃になると花祭りでそわそわしだす。
 そして今日がその花祭りの日だった。
 ロビンは出かけたくてうずうずしていたが、勉強しようとしていた。
 シャルルはロビンを置いてどこかへでかけてしまったが、ロビンはそれでも難しい試験の前だったので一生懸命教科書に集中しようとした。
「こんな楽しい日に一人だけ勉強しようとしても、集中できないでしょう?」
 育て親のステラさんがにこにこ笑って、後ろ手になにか隠している。
 さっと取り出されたワンピースは、ロビンの目の色によく似たきれいな青だった。
「じゃーん! 海をイメージして作られたワンピースですって。仕立て屋で思わず衝動買いしちゃったの。でも私がいくら若作りだからってちょっとこれを着て花祭りには行けないわね。
いってらっしゃい。ロビンもシャルルと遊びたいでしょ。女の子からデートに誘ってもいいのよ」
 ステラさんがワンピースをロビンの胸に押し付けて、仕事場に戻っていく。
 ハルトマン夫妻のもとで暮らすとき、性別のないロビンは女の子に背別を転換していた。
 そのほうが見た目とのギャップが少なかったからだ。
 ロビンはワンピースを着て、シャルルを探すために花祭りの会場を歩いた。
 青いワンピースはひと目を惹くような独特のターコイズブルーから青にグラデーションがかかったサテンで作られていた。
 花祭りの会場に来る途中も露天商が本日のためにこしらえた恋人たちの互いに送るためのプレゼントが並んでいた。
 意識していなくても、そんな気にさせられそうになる道を足早に駆け抜けてきたものの、シャルルがなにか買ってくれるとしたら、または自分がなにか買うとしたら、考えるとちょっと心がはずんだ。

 木の木陰に座っているシャルルを見つけた。
 声をかける前に、手を振った。
「シャルル! ランチボックスに詰めるのに時間かかっちゃってごめんね」
 誰か若い少女の声が聞き慣れた名前を呼んだ。
「フランカ! どうせそこらへんの屋台でも食べるんだろ。そんなの作らなくたってな」
「いいでしょ。作りなさいってお母さんがうるさかったんだし。食べないなら持って帰ればいいのよ」
 ランチボックスを押し付けられて、シャルルが箱を開く。サンドイッチを口にぱくつきながら、フランカと呼ばれた少女のサンドイッチが美味しいと褒めている。
 フランカは楽しそうにシャルルと話していて、シャルルも楽しそう。
 邪魔したら悪いと思ってロビンは引き返した。

 なんだか浮かれていてバカみたいだったな。兄弟みたいなものだってシャルルが言ってたものね。妹みたいなものだよね。
 頭の中は自己嫌悪でいっぱい。
 とぼとぼと来た道を戻るも、ステラさんの手前、すぐに試験のために戻ってきたと言ってもいけない。
「ロビンさん一人ですか?」
 メガネをかけた痩せっぽちの長身が話しかけてきた。
 誰だっけ? と考えて、学校を卒業する前に最後のクラスでいっしょだったことを思い出した。
「僕といっしょにどこか行きませんか? もしよかったら、だけど」
 たぶん彼も相手がいないのだ。
 だけどなんだか気持ちを利用するのもよくない。
 ロビンはついさっきまで彼の名前さえ忘れていたんだ。彼はちょっとこっちに気がありそうな雰囲気だった。
「ご、ごめん。私、あなたの名前も知らないから」
 悪い言い方だったと気づいたのは、言った直後だ。
「そうかぁ。卒業しちゃったあとだものね」
 少年は少し寂しげに笑った。
「元気にしてた? 最後のクラスでいっしょだったんだよ。久しぶりに見たからね、お互い、勉強ばかりしてたでしょ。だから……
でもごめんね。その格好、今から誰かに会いに行くんだよね。邪魔しちゃってごめんね」
 そう言うや否や、その少年はロビンのお腹になにか押し付けて走っていった。
 紙袋の中から出てきたのは花飴と呼ばれる、花祭りの伝統のおみやげだ。ピンク色の花びらが飴の表面にくっついている。
 中にあるメッセージカードはまだ白紙のままだった。
 きっとロビンにプレゼントするために買ったものなのだ。それがロビンに途中に会ってしまったのだ。
「タイミングの悪さってあるよね」
 ロビンは捨てるのもなんだか違うし、シャルルと分け合うのも違うと思って、食べてから帰ろうと思った。
 3つだけだし、食べて帰っても問題ない。

 ところが飴は舐めるのにずいぶん時間がかかるのだった。割って食べるにも大きすぎるサイズだったので、口の中でごろごろ転がしているうちに、シャルルと鉢合わせた。
「その服……新しいな」
「いいんだよ。もう、普段着だから」
 シャルルがなんでふてくされているんだという顔をしている。しばらく一緒に歩いていて、遅れて気づいたようにこっちを二度三度見た。
「機嫌悪いな。おニューの服着てるのに」
 遅い。
「うるさいな、もういいの」
 こんなの誰にだってある甘酸っぱい失恋なのだから。
 二人で帰宅する。その最中、
「ロンジェという姓の子を知らないか」
 歩いているシャルルとロビンは思わず目をみはった。
 眼の前の露店で顔を布で隠した旅人風の男たちが、ロンジェという名前の子供を探していたのだ。
 黙ってその横を通り過ぎ、しかし次の通りでもまたそういう人を見かけた。
 シャルルはロビンの手を握って、その横も素知らぬ顔ですり抜けた。
 小声でシャルルはロビンに言った。
「このまま、バックレよう」
「そうだね。サシャおじさんたちに迷惑かかっちゃう」

 花の都を花祭りの最中に出ていき、街道を二人で歩いた。
「最後の花祭り、デートできてよかったね」
「嬉しくねえこと言ってくれるね」
 シャルルはどちらかといえば嬉しそうに言ってるような気がした。意味がわからない。
「手持ちのもの、何がある?」
「お金以外手ぶら」
「俺は金は使っちまったあとだ。あとは……銃もないしな。組み立て方はわかっている、どこかで部品さえ盗めば」
 部品を盗むつもりか。
「シャルルー……だめだよ、そんなこと言っちゃ」
 少し眉をひそめるような口調で言った。
「咎める気か?」
 しかしロビンの指先は、花祭りの帰りに酔っ払って眠っている旅人のことを指している。
「悪いな。だめだな、そんなこと言ったら」
 バレちまう。とシャルルが小声でそう言って、旅人にそっと近づき、ザックごと盗み、走り出した。
 そのあとは二人で走って逃げて、走って逃げて、走って逃げて……
 ずいぶん離れた街道で、シャルルはザックを背負ったまま銃を組み立てる。
「お前はいざって時盗みの容疑がかからないよう、持つな」
 ロビンは自分の顔色が険しくなるのが自分でもわかった。
「シャルル。なんで僕ばっかかばうんだよ。僕だってね……やれば、できる」
「失敗するに決まってる。おとなしくしとけ」
「シャルル、ナイフ貸してよ」
 ロビンが手を差し出すと、それはあっさり渡してくれた。
「護身用か?」
 ロビンはナイフで髪の毛をばさっと切り落とす。
「おい」
「次のところで、ワンピース売り払うよ。高く売れるだろうし」
 髪の毛をワンピースから払いながら、ロビンは言った。
「いいのか? ステラさんが買ってくれたんだろ」
「いいんだよ。だって、僕……今日から男に戻るから」
 シャルルはなにか言うだろうかと少しだけ考えた。
「思い出より金だな。男にワンピースはいらない」
 期待した答えとは違う答えがきて少しどころでなくがっかりしている。こんな気持ちは男になるにはいらないはずなのだが。
「女の子に戻っても大丈夫になったらまた何か買うよ。今は金がないからすまないが売ってくれ」
 ロビンがシャルルをもう一度見た。
「不満か?」
「シャルル、僕男の子に戻るからワンピースはいらないよ」
「そうか? 拗ねてるだけじゃないのか?」
 ロビンはシャルルの言葉には答えないまま、先を歩きだした。
「シャルル、これくらい離れたらザックに触れないよ。これでいい?」
「何ふてくされてんの。危ねえぞ」
 なんだか女性最後の日はかわいらしくないこと言ってるなあと思いながら、ロビンは短いとは言い切れない時間をベネツェで過ごしたことについて、思い出そうとして、今はやめることにした。
 あの村を捨てた日のように、ベネツェでの思い出もベネツェに置き去りにするように。

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